#6 教育にだって”絶対”はない

小6の冬にアメリカ(ニュージャージー州)へ家族と一緒に引っ越した。

アメリカ生活はすべてが新鮮で、色んなネタはあるのだが、一番の経験価値を感じてるのは”絶対はない”という考え方をはやいうちにできるようになったからだ。

英語はもちろん、右も左もわからない状態で、ポン!とアメリカの現地校に放り込まれて、バスケを頑張ったりして、友達もなんとかでき始めた。

アメリカはご存知の通り、民族も多種多様。白人、黒人、ヒスパニック、中国人、韓国人、インド人などなど。友達も色んな人がいた。

そんな中のエピソード。

学校から下校中。中国人と韓国人の友達と帰っていた時、授業で取り上げられていたからか、第二次世界大戦の話になった。

まずもって、アメリカの近代史における第二次世界大戦の視点は、日本と異なる。

ドイツのポーランド侵攻からドイツのホロコースト、日本の真珠湾攻撃、ノルマンディー上陸、沖縄決戦、原爆、アメリカ勝利。簡単にいうとこんな流れでもちろんアメリカ視点。原爆投下も、歴史的な大きな事実で教えられない事はないが、原爆投下➡日本無条件降伏➡GHQ参入➡日本復興へ、というぐらいの流れでしかない。

日本はご存知の通り、小学校であれば原爆投下の話が多かった。裸足のゲンといった漫画をいまでもはっきり覚えているぐらい。

で、下校中の私と中国人と韓国人の会話。

韓国人の友達:ドイツのホロコーストひどいよなー

中国人の友達:日本も原爆落とされたしな。中国も南京大虐殺で大変だったよ。

俺:え?南京大虐殺って??

中国人の友達:え?!マジ?知らないの?

韓国人の友達:韓国でも学ぶぜ。日本が悪かったって。

俺:…(小学校では教わってない)

という話である。

この瞬間から、アメリカ、中国、韓国、日本、国が変われば、歴史という事実の事柄であっても、教わる年代も、教わる背景や狙い、強弱も違うのだと知った。

そして、日本の歴史がベースとおもっていた自分、(真実の是非は別として)南京大虐殺という出来事を知らなかった恥ずかしい自分を振り返り、教育だって絶対はないのだと。

中国人や韓国人の友達には、彼らの当たり前があって、私の当たり前を押し付けるロジックなんてない。

世の中に絶対はないと思っていたが、教育において価値観それぞれ。ちなみに帰国子女に優柔不断が多いのはこのような経験があるからとよく言われる。

ものの見方を決めつけず、様々な視点や価値観を受け入れ、その上で自分の考えはなにかを考えるいいキッカケになったのだ。

というわけで、今回のエントリーはここらへんで。

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